なぜ続けられる?なぜ挫折してしまう? 数字で見る日本のマラソンの実情 後編

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前回の記事では、マラソン人口や年齢層、マラソンを始めたキッカケなどを、数字で見てみました。

前回の記事はコチラ↓

マラソン人口は〇〇県の全県民と同じ!? 数字で見る日本のマラソン事情 前編

では今回は、挫折する理由や続ける理由も数字で見ていきたいと思います。

 

挫折する人、その理由(マラソンを始めて1年以内にやめる割合)

マラソンを始めたはいいものの、果たして継続的に続くものなのでしょうか。

実は68%が6ヵ月以内に挫折を経験するそうです。挫折する理由は・・・

ランニングを始めて挫折した期間

スポーツの秋にランニングを始めたランナーの68%が6ヶ月以内に挫折した『燃え尽きランナー』継続できているランナーと、挫折したランナーの意外な境界線-株式会社デサント ( by  descente.co.jp

ランニングを始めたきっかけ上位は健康維持、健康改善でしたが、ランニングを始めたてのときは、走るとすぐに息があがって辛い時間が続くし、体型が変わったりとその効果が出るのは数ヶ月継続した先でしょうしね。

要は、ランニングを始めたきっかけに対して、その恩恵が得れられるのはある程度時間がかかるため、それを我慢できずにやめてしまうといったところでしょうか。また、(他のスポーツにも当てはまりますが)走るという単純動作を継続することは、モチベーションを継続させることは難しいということもいえるようです。

 

ランニングを続ける理由

それでは、逆に、継続できている人はなぜ続けられているのか、その理由を見てみましょう。

ランニングを続ける理由TOP10

ランナー世論調査2017 株式会社アールビーズ より抜粋 (by runnet.jp)

 

マラソンを始めたきっかけに比較して、「レース出場」「走力向上」などが上位へ食い込んできました。こちらはランニングを続けるうちにのめり込み、よいタイムを出すことがランニングの楽しさとなっている人が多くいることがわかります。

また、きっかけでもおなじみの「健康」「運動不足解消」「ストレス解消」なども上位に残っています。ランニングによる効果が実感できていて、続けられているということがわかります。

さて、ここで注目したいのが、6位にランクインしている「楽しいから」走るという人もいるということです。走ること自体が楽しい、価値があると思う人がいるかもしれないという可能性がでてきました。

では、その楽しさって何なのでしょうか?

それを知る為には、もう少し深くランナーの皆さんの気持ちに近づくため、「走ってるときにどんなことを考えているか」を調べました。

 

走ってるときにどんなことを考えているか

以前紹介した記事「ランナーが走っている時に考えている6つのこと」にあるとおり、代表的なものが6つあるようです。

 

当然ながらといいますか、やはり、走っているときに考えていることは、ランニングの目的や身体の状態(走り始めたとき、体力的にきついときなど)で違うと思います。

たとえば、1と4は体力に余裕がある時で、2と3はランニングがよいタイムの更新を狙っているという目的が垣間見えます。また、5と6は体力的にキツイ時ではないでしょうか。他のブログ等を調べてみましたが、「何も考えていない、あまり覚えていない」という回答も多かったです。

その他の回答は似たり寄ったりで、だいたい同じものでした。

この回答の中から、楽しさにつながる手がかりがあるのでしょうか?

・・・繋がりそうに見えませんが、実はあります。

ここから自分の経験談と一冊の書籍の記述から楽しさに迫っていきたいと思います。

 

ランニングの魅力

昔嫌いだった走るという行為、僕はなぜ今はランニングを好んでするのかを再度考えてみました。

僕が思うランニングの魅力は、2つあると考えます。

「お手軽な達成感」を味わえること、「何も考えなくていい時間」が得られることだと思います。

1つ目の「お手軽な達成感」について、達成感とは、ある目標を達成するときに得られる満足感のことですが、ランニング・マラソンとは、自然な流れでこのプロセスを踏んでいて、自分に合った目標で満足感が得られます。

どういうことかというと、ある程度ランニングを継続している方は走る前に目標設定をします。

それは、距離なのか、ペースなのか、または走行時間なのか人それぞれですが、例えば僕ですとランニングする前に、今日50分以内に10km走るぞ! と決めるわけです。それを走りきったらそれなりの疲労感が身体に押し寄せています。困難を乗り越えたという実感が達成感を演出してくれます。

さらに、お手軽というのもポイントの一つです。

大概ですね、「ちょっとしんどいけどまぁ耐えられるでしょう」というくらいの目標を設定するとい思いますが、個人個人が自分に合わせてカスタマイズでき、それでいて目標達成のプロセスが成り立っています。

つまり、毎回毎回自分のためにそれなりのハードルを設定し、それを越え、今日は頑張った! と満足して、ビールを飲んで格別! と言っている自分がいるわけです

人間の心理とは面白いですね。

 

次に「何も考えなくていい時間」についてですが、イメージとしては瞑想に近い状態になり、精神がリフレッシュできるという気持ちよさがあるということです。どちらかというとストレス解消に近いですねかね。

前章で走るときに何を考えているかという問いの答えを紹介しましたけども、「走り始め」は体力的にも余裕があって、どちらかというと少し興奮気味で、目に映るものを考えていますが、「走り終わり」は体力に余裕がなくなり、走るのがしんどいから走り終わった後のことを考える傾向にあるようです。

注目はこの間の時間帯です。この「走り始め」と「走り終わり」の間

おそらくランニングの時間の中で一番長い期間である「体力的にも余裕があり、気持ちが落ち着いているとき」です。

「何も考えていない」あるいは「何を考えていたか覚えていない」という意見も紹介しましたが、これがその時間帯の頭の中を表していると僕は思います。

そのときの状態を表現するとすれば、「何か考えているようで何も考えてない状態」というのが一番近いでしょうか。

僕はたまにあるんですが、ハッと気づくと知らないうちにかなり距離を走っていて驚くという経験があります。

頭にそれも空っぽの空間の中に、たまに想念が浮かんできては消え、浮かんできては消えるというイメージです。その想念とは仕事のこととか、明日の予定、今日失敗したこと、あるいは昔の記憶とか。そういうものが多いです。

僕はこの状態は瞑想が成功しているときの状態に近いと解釈しています。

近年、仕事の効率を上げる目的やストレス解消法などで注目を集めたマインドセット(瞑想)ですが、僕が参考にしている瞑想状態に入る方法は、極力自然な態勢をとり、気持ちを静めて、浮かんでくる考えにとらわれず頭の中で同じ言葉を反芻し続けるというものなんですが、走るというのは、両足を交互に突き出すという単純動作をやり続ける行為ですし、考えが頭の中に浮かんできては消えるイメージにも重なります。

 

上記の内容について、またどこからか「筆者がただクレイジーだからそうなるんじゃないか」という声が聞こえてきそうなので、一冊の本をご紹介したいと思います。

かくゆう、僕はこの本の存在を知らなくて、この記事を書いているときに教えて頂いて読んでみました。

その本とは村上春樹さんの著書「走ることについて語るときに僕の語ること」です。

この本は村上さんが長く続けておられるマラソン、ランニングに関してその考え、想いが書かれています。また、村上さんがどのような人間なのか、人生観や小説家を志したときのエピソードなども書かれていて、読み物としても楽しめる本だと思います。

以下、抜粋です。

 

「(中略)走っているときにどんなことを考えるのかと、しばしば質問される。そういう質問をするのは、だいたいにおいて長い時間走った経験を持たない人々だ。そしてそのような質問をされるたびに、僕は深く考え込んでしまう。さて、いったい僕は走りながら何を考えているのだろう、と。正直なところ、自分がこれまで走りながら何を考えてきたのか、ろくすっぽ思い出せない。

たしかに寒い日には、ある程度寒さについて考える。暑い日には、ある程度暑さについて考える。悲しいときには、ある程度悲しさについて考える。楽しいときには、ある程度楽しさについて考える。前にも書いたように、昔起こった出来事を脈絡なく思い出すこともある。ときどき(そういうことはほんのたまにしか起こらないのだが)、小説のちょっとしたアイデアが頭にふと浮かぶこともある。でもそれにもかかわらず、実際にはまともなことはほとんど何も考えていない。

僕は走りながら、ただ走っている。僕は原則的には 空白の中を走っている。逆の言い方をすれば、空白を獲得するために走っている、ということかもしれない。そのような空白の中にも、その時々の考えが自然に潜り込んでくる。当然のことだ。人間の心の中には真の空白など存在し得ないのだから。人間の精神は真空を抱え込めるほど強くないし、また一貫してもいない。

とはいえ、走っている僕の精神の中に入り込んでくるそのような考え(想念)は、あくまで空白の従属物に過ぎない。それは内容ではなく、空白性を軸として成り立っている考えなのだ。

走っているときに頭に浮かぶ考えは、空の雲に似ている。いろんなかたちの、いろんな大きさの雲。それらはやってきて、過ぎ去っていく。でも空はあくまで空のままだ。雲はただの過客に過ぎない。それは通り過ぎて消えていくものだ。そして空だけが残る。空とは、存在すると同時に存在しないものだ。

実体であると同時に実体ではないものだ。僕らはそのような茫漠とした容物の存在する様子を、ただあるがままに受け入れ、吞み込んでいくしかない。(中略)」

「走ることについて語るときに僕の語ること」より抜粋

 

下線部の特に空が頭の中で雲のような想念が流れていく。でも、空が主体で雲の無い状態、空白を獲得するために走っているんじゃないかという部分。

ここですよ、皆さん!

どうですか、美しすぎる文章じゃないですか!

筆者には当然こんな表現できませんが、最初この文章を読んだときに「そう、そうなんすよ!これよ、この感じ!」と自分が感じてた感覚にかなり近いと感じました。

 

おわり

 

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